千葉雄大の視線は、虚空だ。どこか対象を見ているようで見ていない。あざとく目をキラキラさせることもできれば、すっとブラックアウトさせることもできる。瞳の輝度を自在に操る力があるから、つい視聴者は彼が何を見ているのか、その視線の先を探りたくなる。
この牧原でもそうだ。打本に「ちょっと。俺を誰だと思っているの」と軽口を叩いて、パソコンに向かう。その目は笑っているのに笑っていない。何も説明しなくても、彼が無邪気なハッカーではないことがわかる。
そして、それはその後の場面でより際立ってくる。姉を拉致した車は、盗難車だった。焦りと苛立ちで、珍しく感情を爆発させる牧原。その子どもっぽい怒り方に、千葉雄大のビジュアルが持つ「幼児性」がマッチする。その後の自らの境遇を語るくだりでは、大人気ない素振りを見せた自分を恥じるように、あえてなんでもない様子を装う。だけど、悲しみと悔しさに抗いきれないように次第に目が潤んでくる。でもその目はやっぱりどこか遠い何かを見ているようで。牧原の危うさに、つい引き寄せられてしまった。
こうしたアンバランスさは、内に「虚」を抱える千葉雄大だからこそできる表現。クライマックスで空を見上げて涙をこぼすシーンは、まるで意図せず感情がこぼれ出したみたいで、その生々しさが演技としての純度の高さに変換される。だから、つい視聴者ももらい泣きしてしまう。あんなにも透明な涙は、千葉雄大の専売特許。この牧原は、千葉雄大の真骨頂と言える役どころになりそうだ。