脇阪寿一「レースクイーンがなくなったら辞めます!」発言の裏にあるモータスポーツ愛

ニュース 公開日:2018/04/11 64
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全日本GT選手権&スーパーGTでは通算勝利数11勝の歴代3位、ポールポジション数は10回の歴代2位、それだけでなくシリーズランキングチャンピオンには3度輝くというミスターGT、脇阪寿一氏。

2016年には惜しまれつつも引退を発表すると同時に、スーパーGT 500クラス「LEXUS TEAM LeMans WAKO’S 監督」そして「TOYOTA GAZOO Racingアンバサダー」にも就任。

その後はモータースポーツの人気底上げ請負人として異例と言って良いほどの幅広い活動を展開している。


そんな脇阪氏から強力に発信される情報の源や力強さには、一体どのような思いが潜んでいるのだろうか。




――モータースポーツ全体の広報マンとお呼びしても過言ではないほどの啓蒙活動が続いていますが、現在のスタンスに至るキッカケなどあったのでしょうか。


脇阪氏:

「モテたい」「お金持ちになりたい」「いいもの食べたい」「多くの方々と知り合いたい」。

僕の場合、奈良出身からスタートして19歳でカート始め、そこからスズキ自動車の営業マンを経てからレースの世界に来ているので、普通のサラリーマン感覚を持っているわけですよね。そこから人とのめぐり合わせに恵まれて自分で言うのもなんですけど、驚異的なスピードでステップアップして、調子に乗って。


ある時、東京のお店で女の子たちとご飯食べてたんですよ。そこに有名なプロ野球選手が来て、女の子を全部持っていかれたんです。そりゃ向こうのほうが有名だしお金持ってるし。そこで「これはいけない、自分が頑張らなきゃ」と思った反面、このプロ野球選手の選手ランキングを見てみると、上にまだまだ何人もいる。僕の場合、当時のレーサーランキングで言えば5本の指に入るわけですよ。それでも向こうのプロ野球選手は何億円ももらっていて、僕はそれほどでもない。


これはレース界全体を盛り上げなければいけないと思いました。

僕や仲間がお金を取るようになれば、メカニックで入ってくる子たちの初任給も上げられて底上げになる。

また、当時のレース界は1つの予算に対して、各々が「自分が何割持っていけるか選手権」みたいなことをやっていて、そういうのがイヤで。じゃあ業界全体を変えていこうという活動をするうちに、またそれが人に恵まれ応援してもらえるようになって。

でも人にはその人が持つキャラクターがありますから。僕の場合“キッチリやり過ぎない”これを心がけてますね。

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