◆白間美瑠厳選、NMB48忘れられないエピソード。“サササ サイコー”編◆
――きっと卒業後の夢や想いはたくさんのメディアで語ってこられたと思います。当サイトでは趣向を変えて、約11年の歴史を振り返っていただき、“サササ サイコー!”だった瞬間、できれば思い出から消したい黒歴史を、各三つほど語っていただければと思います。
えぇっ!? 想い出がありすぎるからなあ……パッ!と思い浮かんだのは『山へ行こう』(9thシングル『高嶺の林檎』収録)で難波鉄砲隊其之伍に選ばれ単独センターを任せていただいた時。「期待をかけてもらっているんや」と、すごく嬉しくなりました。『山へ~』のMVは『純情U-19』などを撮った園田俊郎さんが監督で。園田さんは普段あまり褒めない方で、私もこどもだったので、正直「怖い人」という印象だったん思っていたんです。けど『山へ~』では「メッチャ良かった!成長したなあ!!」と言っていただけて。その言葉が本当に励みになって、この先の活動でも自信が持てるようになれたんですよ。
――その次のシングル『らしくない』でセンターを飾ったのは、きっと結果に繋がったんでしょうね。続いては?
2017年の選抜総選挙で12位をいただいた時です。ずっと「NMB48を背負いたい」と言いながら結果を残せていなかったので、その熱い気持ちに見合う順位が欲しかったんです。モバメでファンの方に向けて「絶対につかみ取りたい!」とメラメラした気持ちを送って、ファンの方も「一緒に頑張ろう!」という声で応えてくれたことで、すごくファンの方との絆を近くに感じてすごく嬉しかった。長い間ファンの方を不安にさせていたので、この結果をいただけた時は嬉しさ以上に「これでみんな、喜んでくれたらいいなあ」とホッとした気持ちでしたね。
――では最後の一つは!?
これはもう、2013年のじゃんけん大会で大島優子さんと対戦した時。一番のターニングポイントでした。まず、あれだけの大先輩と向き合う機会がもらえたのが大きかったですし、しかも勝ったんです。本当に何も持っていない私が初めて大きな結果を残せたのが本当に嬉しくて。自分ももっとやってやろう!とエンジンをかけるキッカケをくれましたね。しかもこの日から、「大島優子ちゃんに勝った子だよね!」と握手会に一気に並んでもらえるようになり、優子さんはスゴイ先輩や!と改めて感じたんですよ。私もこんなスゴイ人になれたらなあと身が引き締まった瞬間でした。
◆「あいにゃん、ゴメン!」白間美瑠、忘れてしまいたい“黒歴史”エピソードトーク。◆
――では一方の黒歴史の方もできれば語っていただければと(苦笑)。
そうやなあ……思い浮かぶもの全部、言いたくないレベル(笑)。一つ目は2010年のSKE48さんのライブに、NMB48全員で乱入して『マジジョテッペンブルース』を披露した日のリハです。最初は二列目という重要なポジションをいただいていたのに、歌う時はマイクを持つ、歌わない時は下げるという基礎中の基礎すら理解できず、舞台監督さんにメッチャ叱られて。最終的には最後列に下げられてしまったんですよ(苦笑)。
ショックのあまり家に帰ってもずっと暗い顔のままで。そうしたらパパに「ヤンキーの歌なんやったら、ヤンキーみたいに“オラァ!”と入れてみろ!!」と言われ、リビングで「オラァ!!!」と気合を入れさせられたんですよ(笑)。この思い出は約11年の中でもすごく印象深い。正直今でもあの時の舞監さんの顔を思い出すと震えるぐらいなので(苦笑)。
――相当心を抉られた経験だったんですね。
二つ目は、最初の公演『誰かのために』を開催していた時の話です。公演終わりは、出演メンバー全員で劇場を清掃していて、私はあいにゃん(福本愛菜)と一緒にトイレ掃除担当になったんです。このころはお姉ちゃんメンバーたちに甘やかされていたからか、毎回あいにゃん一人に掃除させて常に逃げまわっていたんです(苦笑)。何があっても怒らない温厚なあいにゃんも溜まりに溜まって、最終的にメッチャ怒られました。それで反省すればいいのに、掃除後にあった公演の反省会も「あいにゃんにまた怒られる!?」とビビッて、スッポかしてその後さらに怒られて(苦笑)。
――アハハ!福本さんには申し訳ありませんが、最高のワル白間さんエピソードですね。
今でもあいにゃんには申し訳なかったと思っています。あとは2期生が入ってきた時ですね。私、上西恵ちゃんが大好きで、本当のお姉ちゃんのように甘えていたんです。恵ちゃんはみんなに優しい子で、2期生が加入した時も真っ先に仲良くなって、特に與儀ケイラちゃん、ふぅちゃん(矢倉楓子)をすごく可愛がっていたんですよ。ただ、私は甘えん坊やからその光景を見て「私のけいっちが後輩に取られる!?」と嫉妬でメラメラ燃えてしまって。恵ちゃんと二人が仲良くしていると、「みるのけいっちやからぁ~!!」と、追いかけまわしては泣かせていたんですよ(苦笑)。
――矢倉さんの卒コンでもその時の話が出ましたが、最高の相方とは、当初色々な意味でバチバチな間柄だったんですね。
いやぁ、ふぅちゃんとは色々と激しい仁義なき戦いを繰り広げていました。こうして振り返るとホンマに手のかかる子どもでしたね(苦笑)。11年の時間は濃すぎる、語りつくせませんね。残された時間で恥ずかしい思い出が消えるぐらいの良い思い出を作りたいですね。
インタビュー:田口俊輔
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