【WBC】「あのときが一番ギラついていた」第2回大会の世界一戦士・片岡保幸が明かす激闘の舞台裏の画像一覧
野球の世界一決定戦ともいわれるワールド・ベースボール・クラシック(以下、WBC)がいよいよ今日開幕。ダルビッシュ有、大谷翔平といったメジャーリーグを代表する選手も擁し、“史上最強”との呼び声も高い野球日本代表の「侍ジャパン」も明日初戦となる中国戦を迎える。WBCでの日本は2006年の第1回、09年の第2回大会で連覇を果たしたものの、13年の第3回、17年の第4回と2大会連続ベスト4にとどまっている。同じく野球の国際大会である2019年の「WBSC世界野球プレミア12」での優勝、21年の東京五輪での金メダルに続き、WBCでの3大会ぶりの戴冠で真の野球王国・日本復権へ――。第2回大会の世界一メンバーであり、同大会前にはあのイチローから走力を絶賛されたNPB通算320盗塁を誇る“韋駄天(いだてん)”、元西武ライオンズ、元読売ジャイアンツの片岡保幸さんにWBCの戦い方について聞いた。
大黒柱・イチローとの初めての邂逅
――2009年のWBC第2回のメンバーを見ると、片岡さんと同学年の選手も数多くいらっしゃいました。
片岡保幸(以下、片岡) 結構いました。僕を含めて5人いたかな。ナカジ(中島裕之)がいて、内海(哲也)がいて、亀井(義行)がいて、内川(聖一)がいて。あと1学年上にも青木(宣親)さん、川崎(宗則)さん、岩隈(久志)さん。当時の話を今日は思い出せる範囲でできればと思います。ちょっと緊張のあまり、あんまり覚えていないんです。
――やっぱり当時のメンバーにはイチローさんがいたのが大きいですよね。
片岡 日本代表の合宿初日前夜にチームが集合した後、ホテルでミーティングがあったんです。みんなが揃って最後にイチローさんが部屋の後ろからパンとドアを開けて入ってきて、そこではじめましてで。
――もうみんなが座っている状況で、ミーティングが始まろうかというときに……。
片岡 そうです。イチローさんが入室したと同時に報道陣の方が「バシバシバシバシ」ってカメラで写真を撮られて、「うわ、イチロー来たよ……」と僕たちもなって。僕もイチローさんとはその場が初めての顔合わせだったので、席を立って「よろしくお願いします!」とご挨拶したんです。
――2009年大会の指揮官は原(辰徳)監督で、片岡さんは「お前さんには足や守備を期待している」と直接言われたそうですね。
片岡 そうですね、「お前さんには大事なところで走ってもらうから」って言われて。それで「御意です!」とお伝えして。
――今大会は栗山さん(監督)が電話でいろんな選手に代表入りを告げたと報道で出ていますけど、当時代表入りに関しては原監督から対面で言われたんですか?電話で言われたんですか?
片岡 対面です。2月にチーム(西武)のキャンプインがあって、それでWBCのスタッフたちが挨拶回りに来られて。西武からは何人か候補に選ばれていて、高代(延博)内野守備走塁コーチとかも来られて、高代さんには「いろんなポジションを守ってもらうから。ユーティリティでいける準備をしておけよ」と言われて「わかりました」とお伝えしました。確かそのときに原さんもいて「大事なところで走ってもらう」と。代表の合宿が始まっても改めて(原監督のモノマネで)「大事なところでいく。そういう役割だから」と言われたんです。長年あの人の下にいると、モノマネも身についてしまっているんですが(笑)。
――今大会(2023年の第5回)は最終メンバーも1月26日の発表でしたけども、当時は選手選考もギリギリでしたよね。
片岡 当時は候補メンバーとして選ばれた選手が合宿に参加して、合宿がスタートしたタイミングだと誰が選ばれるかは決まっていなくて。合宿中に「今日、言い渡すから」と言われて、それで細川(亨)さんとか岸(孝之)とかが落選して。和田(毅)さんもそうでしたね。言い渡されるときも、練習が終わって一塁ベンチ裏にみんな集合して「今からメンバーを発表する」という形で始まったんです。僕は内野手で一番最初に名前を呼ばれたんですが、呼ばれた時も「え?入っちゃった」みたいな感じで、返事もちょっとワンテンポ遅れちゃって。
“一番ギラついていた”時期に臨んだ第2回WBC
――片岡さんといえば、第2回大会前年の2008年の日本シリーズでかなり鮮烈な活躍をされました。我々野球ファンからしても「選ばれるだろう」と思っていたわけですけども。当時はプレーヤーとしての自信も一番みなぎっていた時期という感じですか?
片岡 自信はつけていましたし、あの日本シリーズは僕の野球人生の中で非常に大きな出来事の一つでした。第7戦の逆転した8回表が特にターニングポイントで。盗塁王のタイトルもそうですけど、レギュラーとして初めて一番を任されて日本一まで突っ走った一年だったので、本当にあのときが一番ギラついていたかな。すごくガツガツ野球に取り組んでいたなと思います。
――そういう自信に満ちたメンタルでいても、日本代表という場にいくとまた心境の変化というのはあるものですか?
片岡 そこまで積み上げてきたものが一気になくなっちゃうっていう感覚はありました。周りの選手がみんなすごいので、一気に新人みたいな感覚でプロ入りした時みたいに「また高いレベルに来ちゃったな」と思いました。今大会のメンバーもすごいけど、2009年も相当すごくて当時“史上最強”なんて言われていましたからね。メジャー組も何人もいて、ピッチャー陣もすごかったですからね。
――先程話に出た通り、当時は同学年の選手も多かったわけですが、やりやすさはありましたか?
片岡 やりやすさっていうのは特になかったですね。日の丸を背負ってるっていうことが何よりもプレッシャーで。しかも「前回大会で優勝しているし、今年も優勝だろう」っていう風に周りからも見られていたので、負けられないだろうなとは思っていましたね。でも僕、最初はレギュラーでも何でもなかったし、「大事なところで使うから」と言われてはいたけど、“大事なところ”って確実にやばい場面なわけじゃないですか。そういう重圧は感じつつ、でも同年代が多かったので助けられた部分も多かったです。
――それこそ西武でチームメートだった中島さんと、最終的にはチームと同じ二遊間ではなく三遊間を組んでいました。
片岡 セカンドに岩村(明憲)さんがいて、岩村さんは固定だったので。それで試合途中から守るところはどこかなと考えると、足を使えない選手が守っていたのがサードだったんです。だから練習はサードとショートのみ。セカンドの練習は代表ではほぼしていないですね。WBCの年はチーム(西武)のキャンプでもしていなかったと思います。西武のキャンプも、完全にWBC仕様のキャンプ。「いろんなところを守ってもらうから」と言われてからは、セカンドはシートノックでは入るけど、個人練習ではショートとサードをずっと守っていましたね。バッティング練習もほとんどしていませんでした。
――それでもWBC本戦での成績を振り返ると、13打数4安打で打率は3割8厘を記録しています。
片岡 結構打ってますね(笑)。決勝もいいところで三遊間を破るヒットを打てて。(キューバ代表の最速169km左腕)第2ラウンド初戦でチャップマンからも打ちましたからね。(持参したマイバットを指差して)これ、チャップマンからヒットを打ったバットと同じモデルです。
――片岡さんがスタメンで出始めたのはアメリカラウンドからですよね。
片岡 そうです、第2ラウンドのキューバ戦からです。日本のラウンドが終わってすぐ、韓国戦に勝った日の夜にチャーター機でアメリカのアリゾナに入って。あの大会は韓国とはだいぶ戦いましたから。第1ラウンドの最初の試合で勝って、次に負けて。それで第2ラウンドの最初で負けてマウンドに旗を立てられて、その次の試合は勝った。2勝2敗でいって、決勝が最終決戦でした。
――特に期待されていた走塁面に加えて打撃面でも非常に活躍された片岡さんですが、2009年の侍ジャパンで試合以外に担っていた仕事はありましたか?
片岡 荷物を運んだり、荷物の出し入れとかもお手伝いしていたし、あとはバッティング練習の順番の最後が僕のことも多かったんですけど、僕がホームランを打つまで終わらないというルールもありましたね。そうなるともう練習が終わらない、終わらない(笑)。アメリカラウンドでの練習中では、グラウンドは広いし、WBC使用球でボールは飛ばないし、全然スタンドに入らない。「もう無理です!」とか言っても、周りは「まだまだいける!」みたいな感じで盛り上げてくるし、毎回やっと(スタンドに入れて)終わった……みたいな感じでしたね。だからバッティング練習で一番振っていたかもしれない。とにかくスタンドに入れるために振っていたから、最後のほうは(打撃)フォームとかも関係なくなっていましたから(笑)。ただ試合での結果がよかったので、そういうスイングをしておいてよかったのかもしれないですね(笑)。
――そういう意味では片岡さんはチームのムードメーカーだったというか。
片岡 そうですね。野手では最年少だったので、同学年の僕と亀井と内川でベンチ内を「盛り上げよう!」という話をしていました。内川も最初はベンチだったんですよ。イチローさんが打てないときも「みんなイチロースタイルでやろうぜ!」ってユニフォームの着こなしを僕ら三人がイチロースタイルにしたら、稲葉さんもやってくれて、それで練習で盛り上がって。あれでだいぶ結束力も高まりましたね。日本ラウンドからアメリカに行って、段々チームがまとまって、雰囲気も最高潮の状態で決勝を迎えられたという感じでした。最終的には結構楽しくプレーできて、「もっとこのチームで野球やっていたいな」という心境にはなっていました。そこまでいくのは難産でしたけどね、いかんせんイチローさんが不調という異常事態でしたから。ただそういう状況でも軽々しく「OK、OK!」なんてこっちも言えませんでした。でもイチローさんがバントを失敗して、ベンチに戻ってきたときに「ごめん!」みたいな感じでみんなに謝ってくれたときは「イチローさんすげぇ」と思いましたね。でもそこに川崎さんとかがいたから、そんなにムードも暗くなることはなかったですね。
――具体的に「どういう風にチームを盛り上げよう」というお話をされていたんですか?
片岡 とにかく明るくしようと話していましたね。だから内川が試合に出てくれてよかったですよ。内川が試合に出て活躍して、内川をいじっておけばみんなが盛り上がってくれましたから。亀井と僕とで、内川のアゴを触ったりしていじり倒して。そういう役割をしないといけないなと思っていましたね。
初スタメンは前夜に福留との食事中に告げられ……
――韓国との決勝戦の外野の布陣はセンター青木さん、ライトイチローさん、レフト内川さん。片岡さんもスタメンで出るようになったのはアメリカラウンドからで、内川さんの姿とも重なります。
片岡 第1ラウンドの韓国戦も、(右腕の)ポン・ジュングンが先発の試合で完封負けしたときはスタメンではなかったと思います。(左腕の)キム・グァンヒョンにもチームが苦戦していて、彼を打ったのが内川くらいだったんじゃないかな。対左は4割ぐらいシーズンでも打ってましたし、左ピッチャーに対して滅法強いから。内川が使われて内川が結果を出して、アメリカラウンドでもホームランを打ったりしていて、もう不動の中軸になっちゃいましたから。それで僕と亀井だけが取り残されちゃって(笑)、それで「2人でなんとかするしかねーな」と励まし合っていましたね。と思ったら、アメリカに行ったらナカジ(中島)が風邪を引いて、(ティム・)リンスカム(前年2008年にサイ・ヤング賞を受賞した大リーグを代表するピッチャー)が投げてきたサンフランシスコ・ジャイアンツとの練習試合にナカジも体調が悪い中で出て、ヒットも打って、でも途中で変わって。ちょっと無理をして出ちゃったから、体調もさらに悪化してしまったんです。発熱しちゃったから、代わりに次の練習試合のシカゴ・カブス戦は僕がショートで出て。たぶんその試合はショート以外もいろいろ守ったと思います。それで決勝ラウンドを迎えて、ナカジの熱は下がったけど万全じゃないということで、大事な第2ラウンド初戦のキューバ戦に2番ショートで僕がスタメン。「ヤバっ……」って感じです(笑)。その前の晩は福留さんと食事していたんです。
――キューバ戦前夜の時点では、ご自身のスタメンはないという認識でいたんですか?
片岡 いや、一応言われていました。ショートは、キューバの先発が左ピッチャーのチャップマンだったら片岡。右ピッチャーだったらムネリン(川崎)でいくと。そういう話を、福留さんとご飯を食べながらしていて。「チャップマンがきたら、明日僕スタメンなんですよね」と福留さんに言ったら「大丈夫だよ。普通にやれば大丈夫だから」って飄々(ひょうひょう)とした感じで福留さんは言うわけです(笑)。食事の最中に当時のスコアラーの三井さんから電話がかかってきて、「おいヤス、落ち着けよ。明日スタメンだから、明日お前でいくから」って言われて電話を切ってすぐ福留さんに「明日スタメンなんで、帰ります!」って伝えて部屋に帰って(笑)。一気に心臓の鼓動が高まる感じもあって、確かその夜はあまり寝られなかったと思います。
――急遽(きゅうきょ)のスタメンでも開き直ったことで結果が出たという記事を読んだのですが、気持ち的には吹っ切れた感じで試合に臨めたのでしょうか?
片岡 試合前に球場でメンバー発表をするときに、1人ずつ呼ばれるんですよね。1番のイチローさんがいて、僕は2番だから、イチローさんの次に呼ばれるんですよ。それで僕がイチローさんの横に並んでいたので「これはもうすごいことだな。もう今後一生こんなことはないな」と言い聞かせて、たぶんそのへんからもう腹をくくったというか。もうこれ以上幸せなことはないし、やるしかない。そういう感じで試合に挑みましたね。
――キューバ戦は2番ショートでスタメン出場。3回の第2打席ではチャップマンからヒットも打ちました。風邪で欠場した「ナカジのために」という記事も読みました。
片岡 その思いはありましたね。ナカジが風邪を引いてるから、スーパー(マーケット)に差し入れを買いに行きました。果物を買っていったんですけど、「これどうやって食うねん!ナイフがないと食えへん!」って(笑)。日本で売っているような小分けにされた果物じゃなくて、いかにもアメリカっぽいごろっとしたオレンジ、リンゴ、バナナ、パイナップルの詰め合わせで、「これどうやって食うねん!」って(笑)。結局、ナカジも決勝戦に間に合っているわけなので、僕の差し入れも効いたわけですけどね(笑)。
アメリカの球場の土が「僕にとってはラッキー」だった
――(笑)。足が持ち味の選手にとって、球場が天然芝か人工芝かは影響があると思うんですけど、片岡さん的にはアメリカラウンドの天然芝の球場は追い風になっていましたか?サンディエゴのペトコ・パークとロサンゼルスのドジャー・スタジアムでの試合でした。
片岡 天然芝の球場も走路は土なわけですけど、そこは日本の土とやっぱり違って、ちょっとねっとりした感じ、粘土っぽい感じで。スパイクの刃がすごくね、しっかり入ってくれる、つかんでくれるっていうか。人工芝に近いような感じで走れたので、僕にとってはラッキーでした。人工芝より滑る感じもなかったので、感覚的には走りやすかった。
――その感覚はどの選手にも共通していたのでしょうか?
片岡 うーん、どうですかね?とはいえやっぱり土の硬さはあるので、嫌だっていう人もいるだろうし。でも走る人間は地面の反発をもらいたいから、やっぱり硬いほうがいいんです。土がちょっと柔らかいところだと滑ってしまう感覚があるので、その不安があるんですよね。日本だと、天然芝の球場も当時の(阪神)甲子園(球場)とか広島市民球場とかは土がちょっと滑っちゃうので走りづらかったりもしました。ただ土が硬いと逆に守備でゴロを捕るのが難しくなるんです、球足も速くなりますしね。
――土に関して、内野手としての守備面と走塁面を両立させるのは難しいということですね。
片岡 そうですね。土はある程度硬いほうがいいんですけど、走路だけ硬くされても困るし、土が硬すぎると球足が早くなってイレギュラーすると怖いし、そのバランスは本当に難しいんですけど。ただアメリカのように綺麗に手入れされた球場でプレーできるのは、選手にとってもすごくいいことだと思います。
――今大会のアメリカラウンドはフロリダ・マーリンズの本拠地であるローンデポ・パークで行われます。その球場ではプレーされたことはありますか?
片岡 いや、ないですね。僕たちが試合をしたペトコ・パークもドジャー・スタジアムも西海岸の球場でしたけど、今回は東海岸の球場になるわけですよね。初めてのことだから、気候とかも違う部分も出てくる。ドジャー・スタジアムとかは結構寒かったので、日本との気候の変化に対応するという意味で、ちょっと調整は難しくなるんじゃないかなとは思いますね。
――“走りやすかった”球場ということもあり、大会では4盗塁を記録されました。
片岡 すべてアメリカラウンドで記録しました。日本ラウンドは初戦の中国戦に代走で1回出ただけで、走塁ミスをしてしまったんです。初戦の中国戦に二塁ランナーの代走で出て、普通のショートゴロに飛び出して三塁にアウトになってしまいました。初戦ということもあってすごくフワフワしていて。4対0と快勝したけど、終盤に出てそういうミスから始まったWBCだったんです。でもそれを引きずるということはなかったので、逆に最初につまずいちゃってよかったのかもしれません。最初にミスをすると、最後までダラダラっといっちゃう選手もいると思うんですけど、そのへんはちょっと僕のよくわからない性格のおかげで(笑)。
――片岡さんは常々ご自身のことを「そもそも自分はメンタルが強くない」と評していらっしゃいましたが。
片岡 メンタルは強くないですね。だから、とことん練習しないと落ち着かない。
――でも、そうおっしゃいますけど、盗塁は野球の中でも最も勇気がいるプレーの一つだと感じます。それこそ代走だと極限状態でゲームに入るケースも多いと思います。
片岡 そうですね。勇気がないと盗塁の一歩目は出ないし、「アウトになったらどうしよう」っていうのは誰もが思うことなので。でもその“誰もやらないこと”をやらないと、(プロの世界で)生きていけないと思ったから、足はあまり速くはなかったけど、スライディングとか走塁の技術を高める努力はしていました。一応僕はホームランバッターとしてプロに入ったんです。ただ当時の西武には(アレックス・)カブレラがいて、和田(一浩)さんがいて、ナカジがいて、おかわり(中村剛也)がいて、ホームランバッターとしてやっていくのは、まぁ無理なわけです。それでプロに入ってキャンプの最初の紅白戦かな、当時の監督の伊東勤さんが「今日はサインを出さないから、お前ら全員が考えてやれ」とおっしゃって。僕が8番か9番で試合に出て、ランナー一塁で(一、二塁間に)おっつけたんですよ。おっつけて、たまたま一、二塁間を抜けてランナー一、三塁とチャンスが広がったんです。それが伊東さん的にすごく良かったらしくて、そのバッティングで「やっぱりあいつは野球わかっているな」と思われちゃって。伊東さんはキャッチャー出身ですし、そういう「イヤなバッティングするな」という部分を評価してくれて「こっち(片岡)を使おうかな」って思ったらしいんですが、それを聞いたのは伊東さんがヘッドコーチだったWBCの時です。「当時はお前ならなんとかしてくれると思った」って言ってくれましたね。
一番打者は「一番いい打者だから」大谷翔平
――WBCはファン目線で見ても、他のあらゆる試合とまったく雰囲気も違えば、対戦相手も当然違うわけですけども、決定的な違いっていうのはどこにあると片岡さんはお考えですか?
片岡 オリンピックとかもそうですけど、国を背負って戦う国際大会なので、他の国の選手たちがどういう思いで来ているのか。たとえばアメリカは野球が国技だから、負けられない理由がありますよね。何かしらそういう、それぞれの国の負けられない理由があるというね。我々は、日本の野球を世界に示さなきゃいけないし、2回優勝してるわけですから。やっぱり勝たなきゃいけないし、日本の野球はすごいんだっていうところを見せてほしいと思いますね。各国が国を背負ってやる野球なので、やっぱりいつもの野球とは全然違いますよね。
――日本もオリンピックでは東京五輪で金メダルをとったり、プレミア12で優勝したりもしていますけど“WBCの借りはWBCでしか返せない”みたいなところもありますよね。
片岡 2009年の第二回以来、10数年優勝していないわけですから。今回の大会で日本の野球を示さないと、これからメジャーに行く人たちも「日本は大丈夫か?日本人は大丈夫か?」って周りに思われるかもしれないし、未来の日本人メジャーリーガーたちのためにも、勝っておかないといけない大会ですよね。
――客観的に見て、今回のメンバーはいかがですか?
片岡 最強じゃないですか?史上最強と言ってもいいと思います。メジャー組も4人いるし、特に投手陣は史上最強。あとは野手陣ですよね。軸となる選手が誰なのか。キャッチャーは誰なのか。そこも結構議論がありますよね。野手陣もみんなレベルが高いところにいるけど、野手陣の軸も実戦をやりながら見えてくると思います。それに今回はチームにキャプテンをつけていないわけです。そこはやりながら誰かが中心になっていくというね。
――今、報道を見ると投手陣はダルビッシュ投手を中心にまとまっている感じです。
片岡 投手陣は間違いなくダルビッシュですよね。2009年も野手はイチローさんがいて、ピッチャーで松坂さんがいて、キャッチャーに城島さんがいて、という風に各ポジションで素晴らしいリーダーシップを発揮する選手がいましたから。今回は野手の最年長が(捕手の)32歳の中村悠平でしょ。とにかく若い。そこはちょっと不安かなとは思いますけど、でも中村もセ・リーグを連覇してるチーム(東京ヤクルトスワローズ)のキャッチャー、正捕手ですからね。経験と知識はあると思うので期待しています。
――ここで片岡さんの予想スタメンをお伺いしてもいいですか?“片岡ジャパン”ならどういうオーダーで戦いますか?
片岡 一番DH大谷、二番レフト吉田、三番ライト鈴木、四番サード村上、五番ファースト山川、六番センターヌートバー。ヌートバーのことはあまりよく知らないんだけど、たぶん使うでしょうね。七番セカンド牧。八番キャッチャー甲斐、九番ショート源田。よし、これで固まった!この予想が当たるかどうかは知らないけど(笑)。
――一番大谷選手、セカンド牧選手、キャッチャー甲斐選手あたりに“片岡ジャパン”らしさを感じます。「一番大谷」の理由は?
片岡 理由はシンプルで、一番いいバッターだからです。ピッチャーは立ち上がりが不安なので、一番いいバッターを置かれるとイヤだと思うし、打席の数が多く回ってくるところに大谷がいたほうが相手にはプレッシャーになるかなと。大谷もね、メジャーで5年やっているので、それなりの経験もあるし、打線は大谷を軸としていいかなと思います。
――先程2009年は決勝でチームの雰囲気が最高潮になったっていう話がありましたけど、始まってみないと分からない部分も多いですよね。打線も開幕オーダーのまま戦い続けるかも分かりません。
片岡 僕たちの時も、イチローさんも初戦は打ったけど、そこから一時期打てなくなったし、何が起きるかは分かりません。ただやっぱり上位打線は固定したほうが軸になる選手も明確になりますし、2009年もイチローさんを一番で固定したように、特に一番打者は変えないほうがいい。だから今大会に関しては“一番大谷”を変えないのがいいと思います。
――日本の野球はアメリカとかドミニカとかと比べた時に“スモールベースボール”とよく言われます。今回だったら周東(佑京)選手とか、2009年の片岡さんしかり、足を使える選手が結構注目されますけど、足を絡めるという戦い方はWBCにおいて有効だと考えますか?
片岡 大事だと思います。足を使える選手というよりも、国際大会は控えの選手が非常に大事になってくる。周東に関してもどこでも守れるし、周東を試合のどこのタイミングで使うかですよね。確実に走れるから、どこで周東というカードを切るか。今回のメンバーを見ても、走れる選手ってそんなに多くないですよね。山田(哲人)も走れるといっても年々盗塁の数は減っていますから。鈴木誠也と大谷もまぁ走れるし、村上も(足が)遅くはないので走る意欲はあるし。ただ圧倒的な走力を持つ選手は周東しかいないから、周東の役割は結構大事だと思います。
走塁は試合でしか試せない。試合でしかうまくならない
――片岡さんから周東選手への助言はありますか?
片岡 走塁は試合でしか試せないし、走塁は試合でしかうまくならないので。そのことを理解してくれる監督、コーチがいるかどうか。ある程度失敗を許容しないと、上達しないのが走塁です。西武はそういう感じだったので。ミスしても「いけいけ!」と声をかけてくれるし、当時の監督だった渡辺(久信)さんからも走塁ミスでアウトになった後に「お前が作ってくれたチャンスだから」と言われたことがあります。渡辺さんは走塁ミスを怒らなかったですね。アウトになっても「どんどんいけ!明日やり返せ!」とよく声をかけてもらいました。
――WBCも日本ラウンドはそういう失敗をある程度許容して、アメリカラウンドを本番として捉えるというのもアリかもしれないですね。
片岡 WBCに選ばれた選手は本当に自分のプレーをやればいいだけなので。日の丸を背負っているからこうしなきゃいけないとかじゃなくて、これまでのみんなのプレーを見て選ばれているわけです。自分のプレーができれば問題ない。走れると思ったら走ればいいし、こっちに打球が来そうだなっていう感覚が守備の時にあれば、ポジショニングだって変えたらいい。そういうのを含めて、選手には自分のプレーを存分に表現してくれればと思います。それがチームにとってプラスだと思うし、そういう風に戦ってほしいですね。首脳陣もファンも、それ以上を求めてない。それ以上背負わなくてもいいと思うんですけどね。ただ日本代表に選ばれた自覚だけは持って戦ってほしいです。
――栗山采配も注目したいところです。
片岡 栗山さんはいまどきの感じで下の名前で選手を呼んでね。栗山さんは本当に勉強熱心ですからね。選手とのコミュニケーションもすべて計算した上でやっていらっしゃる方なので、あの人はすごいです。
――ちなみに実績と勢い、チーム編成としてどちらを優先すべきだと思いますか?
片岡 さっきも言ったように、軸は動かさない。もちろん勢いも大事だし、2009年でいう内川みたいな選手がぱっと出てくるかもしれない。それが牧じゃなくて山田なのかもしれないし、勢いは当然利用したほうがいいです。でも、大谷や村上という選手には代わりがいないので。そういう選手は調子がどうであろうがブラさずに試合に出続けることになると思うので、やってほしいですよね。あと今回は10回からタイブレークがあるけど、そこで仮に村上が先頭打者だった時に「バントをさせるのか」っていうのも重要だと思います。栗山さんはおそらくもう本人に言っているはず。「お前にはバントはさせない。でも他の選手にはバントあるよ」みたいなことを言っているかもしれませんし、村上や大谷にはバントをさせないと思います。そういうのをはっきりさせておけば、戦う上で迷うこともありません。
――今回の予想スタメンを見ると、ファン心理としてもバントをさせたくないメンバーが揃っていますよね。
片岡 本当にそうですよね。大半の選手がチームではバントをやってない選手だと思うんです。だから今、代表にいるうちにちょっとでもやっておけばプラスになる。でもあくまで今大会は守備のチームで、ピッチャーが軸になるチームです。投手陣は最強ですから。初戦の中国戦は大谷がいって、韓国戦はダルビッシュがいって、その後のチェコ戦やオーストラリア戦も(山本)由伸がいって佐々木朗希がいって。準決勝と決勝は大谷とダルビッシュが、先発だけじゃなく後ろ(リリーフ)で投げる形をとれれば連投もOKなので。準決勝か決勝でアメリカを相手に大谷とダルビッシュのリレーで抑えて勝てたりしたら最高ですよね。
――ダルビッシュ投手とは09年もやられていますけど、当時ダルビッシュ投手は22歳。片岡さんは今の姿を想像できましたか?
片岡 いや、できなかったです。当時も間違いなくすごかったんですけど、メジャーでサイ・ヤング賞を争う投手になるところまでいくとは想像できませんでした。独特な考え方を持っている、自分を持っている人間だからこそ、あそこまでいけたんでしょうけどね。手術もしているし、チームもいくつか変わっていますから。パドレスとも大型契約を結んで、それは実力だけではなく彼の人間性であったり取り組みであったりも評価されてのことだと思うので、そこはさすがですよね。あいつ、右と左の腹筋をバラバラに動かせるんですよ。右だけじゃなく左でも投げられるしね。やっぱり考え方ですよね。考え方が本当に大人ですよ。
――当時も野手と投手だとコミュニケーションをとる機会は多かったんですか?
片岡 僕も人見知りだし、でも(同じ西武だった)涌井がダルと同い年でいたし、コミュニケーションはとっていましたよ。その当時からTwitterも流行っていて、僕もTwitterをこっそりやっていたんですけど、ダルビッシュが「片岡さん、Twitterやってますよ」って僕のアカウントを拡散しやがって(笑)。それで一気に5万フォロワーぐらい増えちゃって、「やばいやばいやばい」となって止めました(笑)。
――以前のインタビューで拝見しましたけど、片岡さんは目立ちたがり屋だけどあまり被り物のパフォーマンスとかも好きじゃなかったんですよね?
片岡 目立ちたがり屋だけど、恥ずかしがり屋。あまり目立ちたくなくて裏方が好き。本当はつまらない人間なんだけど、そういうことを求められちゃうから責任感が出てきて「やんなきゃ!」みたいな。それで疲れちゃう。チャラチャラしてるように見られますけど、(マネージャーに向かって)意外と真面目だよな?
マネージャー そうなんですよ。真面目なんです。本当に見かけによらず意外と真面目。
――ズバリ、今大会は優勝できますか?
片岡 できるでしょう!間違いなく。僕らの時もWBCで世界一になった後は西武球場にも人が増えたし、2009年の盛り上がりは去年のワールドカップよりもすごかったみたいな話も、当時日本で応援してくれていた知人から聞いていました。去年はサッカーのワールドカップもあったし、その熱っていうのはまだ続いていますから。そのサッカーの熱に便乗してじゃないけど、やっぱり野球でも頂点を取ったほうが今後のね、スポーツ界に影響すると思うので。大丈夫です、勝ちます!
(了)
Profile/片岡保幸(かたおか・やすゆき)
1983年02月17日生まれ、千葉県出身。宇都宮学園高から東京ガスを経て、2004年ドラフト3巡目で西武ライオンズに入団。ルーキーイヤーからスタメンに名を連ね、俊足を活かしたプレースタイルで盗塁王を4回獲得。08年にはオールスター出場、最多安打に輝き、リードオフマンとして日本一にも大きく貢献した。09年、第2回WBCに出場。14年、新天地ジャイアンツへFA移籍し、15年には通算300盗塁を達成した。その後は度重なる怪我に悩まされながらも、希望を捨てず必死のリハビリを続けたが、17年に引退を発表した。18年から21年までジャイアンツ2軍内野守備走塁コーチを務めた。
ジャケット¥62,700、シャツ¥23,100、スラックス¥37,400/以上すべてts(s)(HOMEDICT ☎03-5774-1680)
写真=大村聡志
スタイリング=NAO
インタビュー&文=熊谷洋平
撮影協力=CAFEDICT