9月6日(日)に開催された「2020年、渋谷。超福祉の 日常を体験しよう展 」に我妻ゆりかが出演した。
我妻は、生まれつき感音性難聴で両耳に補聴器をつけて芸能活動を行っており、今回その愛用している補聴器「OTICONオティコン」の「最新補聴器で聞こえが変わる。日常も変わる。」というテーマでのトークショーへ出演した。(毎年渋谷のヒカリエにて大々的に開催されておりますが、今回は新型コロナウィルスのl影響でリモートでの出演となりました。)
現在20歳となり、感音性難聴の関係でできる仕事は限られているが、持ち前の感性や愛嬌、ビジュアルの高さもあり雑誌やイベントなど沢山の誘いを受けている。
<インタビュー>
「2020年、渋谷。超福祉の 日常を体験しよう展 」シンポジウム企画我妻ゆりか出演インタビュー
―今回に出演したイベントの感想を教えてください。
はい!まずこの「2020年超福祉展」のイベントに出演が決まった時、本当に嬉しかったです!トークショーイベントは初めてだったのですが、小さい時から愛用しているメーカーのオーティコンさんのトークショーイベントだなんてとても贅沢だなと思いました!何回も練習して、絶対に成功させるぞ…!って気持ちがいっぱいで緊張していたのですが、皆が見守ってくれてるのがわかって、直ぐに安心して、私らしく皆さんとお話ができて、伝えたいことを発信できたのではないかなと思います!そして、色んな話を聞けて、これから先の補聴器との未来がもっと楽しみになりました!ありがとうございました!
では、ここから我妻さんの幼少からの補聴器との歩みを聞いてみたいと思います。
―幼少期の補聴器の記憶・(良い+悪い)思い出、発音・発語トレーニングについて
3歳ぐらいのときから「聞こえ」の教室に通ってた。発音の練習をしていたり、舌の動かした方を練習してた、当時の私からするとそれは普通のことだったし、そこにいた友達と話せたり、舌にラムネ置いて食べれるのと、終わったあとプレイルームで遊べるのが好きで通い続けてた。聞こえないからそこに通ってるって自覚はなかった気がする。
―小学生の頃の思い出
小学校に入ってからは、周りの子達が自分が何度も聞き返したりする行動に対してキレたり無視されたりって感じで、だんだん周りの反応がわかってきて、あぁこうしない方がいいんだなって分かってきた。
聞き取れなくても聞こえなくても何も聞かないことが1番いいんだなって察したけど、毎回怒られる理由が聞いてませんでしたってなってしまう私は、周りから常に先生にわかるまで聞きなさいって言われたことがすごく苦痛だった。それだけじゃ無いのかもしれないけど、私は3年間クラスの皆から虐められてた。辛かったし怖かったけど、ママを悲しませたくなくて誰にも頼れなかった。
だけどそんな小学校生活の中で、唯一嬉しくて20歳になった今もずっと覚えてるのは少しだけいた友達に「その補聴器かわいい!!アイドルが付けてるやつじゃん!」って言われたこと。
彼女は補聴器の意味は多分知らなかったんだろうけど、そのときだけは自分の補聴器がカッコイイと思えたし何だか誇らしかった。
―音楽が大好きだとお聞きしましたが。
例えば小さい頃から私にとって音楽は楽しいものだった。だけど小学校になってからは音楽の授業でみんなの前で歌って音程がずれてるとか、口を大きく開けてるかとか、できないことをできることのように判断されるのが1番泣きたい時間だった。1番大好きな音楽が1番嫌いになる時間だった合唱コンクール練習期間のとき、音を正確に耳に入れることができず音程が取りづらい私にとって、それは難しかった。だけどそれをどんなに説明しても「練習したらできるようになるよ!」って言われつづけてて苦痛だった。
―中学生の時はどのように向き合ってらっしゃったんですか?
中学生のときは、自信がなくてそもそも補聴器をつけてることがコンプレックスだった。好きな人につけているところを見られたくなくて、わざと髪の毛を隠す髪型をしたりしてた。私の「補聴器」はみんなに嫌われる要素だと思ってた将来の夢はあったけど不安だった、その夢をちゃんと口に出していいのか不安だった理由は、大人たちは私を受け入れてくれなくて、期待して何度も裏切られたって思ってた。だから期待すればするほど自分が深く傷ついちゃいそうだなと思ってた。
―少しずつ変わってきた意識と大好きなこと
高校では少しずつだけどたくさんの人に愛されて、過ごしやすくなった。必ずしも、補聴器をつけてる事が嫌われる要素じゃない、愛される、愛されないの判断にはならないことに気づいた。そこから自分のやりたいって気持ちとワクワクする気持ちに素直に動くようになった。(やってみたいアルバイトに応募する、お仕事をしてみたい会社にエントリーシートを送る、交流会に参加して色んな人とお話をする)そのうち、写真を撮られるのがすきなことに気づいて写真を撮られることを始めた、写真は自分を表現できる時間で耳が聞こえなくても自由を感じることができた。
でもやっぱり写真を撮られる時も私にとって補聴器は体の一部だけど写真には映らない存在だった。その方がいいんだろうなってやっぱり思ってた。だからやっぱり補聴器は髪型で隠してたし、大好きなアップの髪型はしないようにしてた。補聴器を買いに行く時だって色を決める時は髪型に馴染むからって黒色にしていた。それが私の20年の人生だし、それが私の普通だった。
そんな感じで私の人生は進んでったんだけど、それを一変する出来事がある日起こった。
それは今の事務所のマネージャーさんと出会った時で、私が「え、でもわたし補聴器つけてますよ…?」って聞いたらその時マネージャーさんは私にこう言った。
「そんなの関係なくないかな?むしろそれは我妻さんしか持っていない個性だと思うんだけど。今はまだコンプレックスかもしれないけど、コンプレックスは必ず武器に変えれるんだよ。」と。
単純かもしれないけど、その日、私はその言葉を信じることに決めました。
だから今があって今、嫌いだった自分のこと凄く好きになれたし「補聴器をつけている私が私なんだ」って自信を少しずつ持つことができてそれがほんとに幸せで今私が嫌いだった私自身をすごく好きになれたのはそうやって愛してくれる周りの人達がいるからだと思う!
―最後に皆様に一言。
はい、初めまして!我妻ゆりかです!
私は生まれつき耳が悪くて補聴器をつけています!2020年超福祉展での初めてのトークショーイベント緊張しました…!!でもありのままに楽しんで無事に終わることができました!!YouTubeのアーカイブで見れるので、是非見てください!そしてSNSのフォローもお願いします…!笑