高橋みなみの進化をAKB48古参ライターが紐解く
一昨年12月に卒業が発表された高橋みなみの卒業コンサートが、1年3ヶ月の月日を経て行われた。 高橋はAKB48の総監督として、しっかりと48グループをまとめてきた。著書「リーダー論」(講談社)も発売し、芸能界のみならず、高橋のキャプテンシーは世間にも注目されAKB48の顔として無くてはならない存在にまで成長。そんなカリスマの卒業は、今後のAKB48の活動にも大きな影響を与えるだろう。 しかしデビュー当時の高橋は、今のように誰もが憧れ、どのメンバーからも認められるタイプではなく、むしろ寒いギャグを言って空回りをしたり、メンバーが対応に困るようなことも多く、お世辞にもチームを引っ張るタイプでは無かった。 そんな高橋を大きく変えた出来事といえば、同期の折井あゆみの卒業だろう。 2005年12月にAKB48がスタートした時には、当時はまだリーダーという肩書きは無かったが、最年長の折井が、実質リーダーとしてチームを引っ張っていた。その折井が2007年1月に卒業したことで、チームを引っ張る存在がいなくなってしまう状態に。折井の卒業と同時に、チームBが新たにスタートすることも発表され、一期生から浦野一美と平嶋夏海、渡辺志穂がチームBへ移籍することも決まった。これまで一緒に頑張ってきたメンバーが何人もチームを去ることになり、当時の年少メンバーたちは、かなり不安になった時期でもあった。そんな時に折井の卒業公演で高橋は涙を流しながら「私はあゆ姉(折井あゆみの愛称)を見習っていつかはあゆ姉みたくなりたい」と発言して、折井が無言でうなずき、高橋の背中を押した形となった。 そこから高橋は折井の意志を継いだかのように、年上メンバーが多かった当時のチームAを引っ張るようになるのだが、最初は上手くいかないことも多く苦戦をしていた。それでも当時のチームAは、AKB48のスタートメンバーの同期であり、苦しみを共に知っている戦友たちなので、折井という大黒柱を失ったショックは誰もが抱いていた。その気持ちが高橋をみんなで支えて、高橋自身も試行錯誤しながら折井のマネではなく、新しい形のキャプテンとしてチームを引っ張るように成長した。 この頃のAKB48は、お世辞にも人気アイドルとは言いがたい時期だったが、高橋は人の上に立ち、どのように振舞えば良いのかじっくりと学習したことで、ブレイクして姉妹グループも増え大所帯になっても物怖じすることなく、どんな時でも堂々としてAKB48の顔と言われるようにまでなったと言える。 2008年9月3日には、AKB48にとって初めての研究生公演がスタート。その研究生公演に、すでに中心メンバーとして活躍していた高橋が参加したのだ。指原莉乃、北原里英、大家志津香など4期生と5期生を中心としたメンバーでその研究生公演を行っていたのだが、そこに体調不良で休演した宮崎美穂の代わりに、アンダーとして高橋が参加するというありえない出来事が起きたのだ。これまで同じ公演に出ることがほとんど無かった研究生たちは、大先輩と一緒に出ることで緊張していたようだが、高橋は入りたての後輩にもしっかり声を掛け、楽しい空気を作り出していた。後輩に直接的に何か教えた訳では無いが、しっかり後輩に自分の背中を見せて、大きな刺激を与えたのではないかと思う。この時に一緒に公演へ出演した4期生と5期生にとっては、この公演は大きな財産になり、高橋の背中の大切さを学んだと言える。 多くのメンバーから信頼を勝ち取り、2012年8月には、AKB48グループの総監督に就任した。チームという枠のみならず、これまで以上に大変な立場になったが、今まで培ったことが糧になり高橋みなみという存在を大きくしたのではないかと思える。 そして高橋は2014年12月にAKB48卒業の決断を出した。その卒業コンサートが、2016年3月27日に横浜スタジアムで行われたのだが、これまで高橋が参加した楽曲を中心に、すべて高橋はセンターポジションとして歌いあげた。まさに高橋の集大成である。そこにデビューから苦楽を共にした卒業メンバーの1期生も多く集まり、高橋の新しい船出を見守った。 4月8日には、AKB48劇場で卒業公演が行われるのだが、この日はAKB48にとっても、高橋にとっても第二章のスタートでもあるので、AKB48の肩書きが無くなって、ソロシンガーになる高橋がどのような道を歩んで行くのか見守りたいと思う。(ブレーメン大島) 写真(C)AKS